Space & Art / 空間とアート
VOLUME 01 / PART II / CHAPTER 22

なぜバロックは、到達する道筋と一室の経験を連動させたか

宮殿の豪華さを天井の装飾量で説明せず、守衛室、控えの間、寝室、私的な部屋へ向かう道筋と入室資格から読む。

フランス・ヴェルサイユ宮殿/ルイ14世期から後の改修実物・記録を見比べる出典 6 件
王の寝室・現況
Gzen92 / Wikimedia Commons · ヴェルサイユ王の居室:17〜18世紀に改修/撮影:2013年 · CC BY-SA 4.0 図版情報
Gzen92 / Wikimedia Commons · 元資料
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順番を持つ部屋を歩く

宮殿の公式解説は、王の居室を衛兵室、二つの控えの間、寝室、内閣の連続として説明し、誰が進めるかは儀礼によって厳格に区切られたと記す。入口側の衛兵室が抑えた装飾なのに対し、食事の控えの間では戦闘画が並び、王が公開の食事をする場所だった。さらに奥へ進めば、寝起きの儀礼に参加できる人は限られる。写真の豪華な一室だけを見ると、部屋の前後が消えてしまう。ここでは平面上の順路と部屋ごとの実景を対に置き、到達する過程が権力の可視化であったことを確かめる。写真から特定日の人数や礼法の細部までは再現しない。[1]

現況の牛眼の控えの間の写真は、王の寝室とは別室である。丸窓の光を寝室の窓からの光として説明しない。衛兵室の床細部を置く場合も、その装飾が部屋の全体像を代表するとは言えない。室名のラベルが比較の前提になる。[1]

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説明平面に「進める距離」を書き込む

2008年作成の王の居室平面で、衛兵室、二つの控えの間、寝室、内閣の順を指で追う。建物に備わる扉を通り抜けられることと、当時その人に通行資格があったことは同じではない。宮殿公式史は接近の度合いが儀礼で統制されたと説明する。したがって平面に矢印を一本描くだけでは、王の周りの序列を復元できない。誰にどこまで許されたかを知るには職位と儀礼の資料が必要だが、図面と各室写真を交互に見ると、空間が「近づく」過程を段階化していることは確かめられる。[1]

図面・記録王の居室・2008年説明平面部屋の成立:17〜18世紀/説明図:2008年衛兵室、控えの間、寝室、内閣の順番を確かめる後年の説明図。ルイ14世期の原図ではない。No machine-readable author provided. Elighthart assumed (based on copyright claims). / Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0 · 元資料[3]
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王の寝室は不変の中心ではない

現在知られる王の寝室は1701年の移設後の位置である。宮殿側の説明によれば、王は大理石の中庭に面するファサード中央の部屋へ寝室を移し、旧寝室と控えの間の間仕切りを外して「牛眼の控えの間」を作った。ここは鏡の間、王妃の居室、階段へ接続する位置にある。現在の写真に映るベッドの軸線は、宮殿の最初の設計時から動かなかった中心ではない。間仕切りの変更と儀礼の規模が空間を変えた。華麗な室内は様式の完成形として凍結されず、政治的な場の要求で組み直されたと読む。[1]

同一対象王の寝室・別方向ヴェルサイユ王の居室:17〜18世紀に改修/撮影:2013年同じ部屋の別視点。寝台と開口の位置を比べる。Gzen92 / Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 · 元資料[4]

宮殿の公式解説には、1690年から王が大食事の控えの間で公開の食事をしたこと、牛眼の控えの間はもと二室であり、1701年に間仕切りを取り払ったこと、寝室を別室へ移したことが順に書かれる。これらは「バロックらしい豪華さ」といった曖昧な形容より、室と儀礼の因果を具体化する。食事を見られる場所と、寝起きの儀礼に立ち会える場所では、人が王へ近づける度合いが違う。衛兵室が控えめであることも、装飾不足でなく役割の差として読める。現在の写真から部屋のつながりを想像で描くのでなく、宮殿の説明にある扉と階段の関係を照らし合わせる。[1]

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食事の控えの間は寝室ではない

第一控えの間では公開の食事が行われ、牛眼の控えの間は王の寝室へ入る直前の場所だった。現況写真に見える丸窓は後者の室名を与える特徴だが、写真一枚で寝室の使われ方を説明しない。衛兵室の床細部も、入口での警備の人数や配置を教えるものではない。宮殿の説明と室写真を対応させ、装飾の密度が高いほど重要と即断せず、そこで何を見せ、何を待たせるかを問う。宮廷の室は絵画を壁に掛けるだけでなく、人の姿や王の行為を見せる舞台でもあった。[1]

同一対象牛眼の控えの間・現況ヴェルサイユ王の居室:17〜18世紀に改修/撮影:2013年1701年の間仕切り変更を経た控えの間。寝室とは別室。Miguel Hermoso Cuesta / Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0 · 元資料[5]
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一室の中で何が見えるか

寝室の壁には絵画、織物、彫刻、家具が集まる。宮殿の解説は王自身が選んだ絵、寝台上の寓意彫刻、炉上の胸像、後年に属する燭台まで個別に挙げる。したがって現在の画像に映る「バロック室内」を全品同時代の同一制作として読まない。寝台と入口の関係、部屋の中心へ向く視線、鏡の間との接続は図と写真で確認できる。一方、寝起きの儀礼に出た人の感情や空間の音は、視覚記録からは分からない。装飾は単なる豊かさの誇示でなく、王を見せ、近づけ、隔てる配置の一部として検討する。[1]

同一対象王の衛兵室・床の細部ヴェルサイユ王の居室:17〜18世紀に改修/撮影:2011年居室列の入口側にある衛兵室の床。王の寝室の床ではない。Trizek / Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0 · 元資料[6]

控えの間と寝室を連続した写真で見せると、王へ近づく資格の違いを空間として説明できる。王の大食事を見せた室では卓が一時的に置かれ、毎日の食後にはその配置が変わる。現在の写真に卓がないことを根拠に「ここでは食事しなかった」と結論しない。王の寝起きの儀礼は、ベッドという家具だけでなく、扉の位置、立ち会う人数、周囲の絵や彫刻によって場面化された。だが具体的な参加人数を一般化するには宮廷記録が要る。1701年の改変を読んだ後に現況を見ると、部屋が政治的な必要に応じて動いたことが分かる。後年の1755年の評議室の改変も、宮殿が一度で完成し止まった作品ではないことを示す。[1]

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別の宮殿に自動適用しない

この連続はヴェルサイユにおける特定の王権と儀礼を示す。「バロックの建物はどこでも同じ順路を持つ」という定義へ広げない。宮殿の公開写真は保存・再設置後の状態であり、居室も17世紀末から18世紀に改変された。部屋を比べる際は、衛兵室、控えの間、寝室の機能と撮影時期をそれぞれ書く。現在の見学順路も歴史上の入室資格の再演ではない。実際に当時どの扉が開いたか、誰が立ち会ったかは宮廷日誌や儀礼史料に照らす。ここまで分けることで、空間演出を一枚の豪華な内観に還元せずに済む。[1]

一室の中にも年代の層がある。寝室の王が選んだ絵、寝台上の寓意、後の燭台を、すべて「1701年の装飾」と一括りにしない。王が死んだ1715年の部屋と、今日見学者が入る部屋も同じ画像ではない。牛眼の控えの間の丸窓は南から光を入れるという公式説明があるが、写真だけで季節の光量や儀礼時の点灯を断定しない。現在の見学路を当時の儀礼の順路と呼ばないことも重要である。ここで読みたいのは、序列を見せる経路を建物と行事が相互に組み替えたという事実である。床・壁の豪華さを並べた写真集からは、この変更の理由は見えない。[1]

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現在の内閣は別の改修時点

王の居室の最後に置く内閣の現況はルイ14世の時間へそのまま戻せない。宮殿は現在のCouncil Roomの装飾を1755年のルイ15世期の改修として説明する。1701年の寝室移設と1755年の内閣の状態は別の政治・制作時点である。平面図の室名をつないだだけで「ある一日の完全な室内復元」を作らない。寝室の主軸が移され、控えの間の間仕切りが外され、その後にも室が変化したことを年表として図版ラベルへ戻す。[1]

平面に記した経路を現況の四枚の写真に一対一で貼ると、衛兵室は床の細部しかないことにも気づく。この不足から室全体の装飾が簡素だった理由を一枚で結論しない。宮殿公式の室説明が、入口側の警備、公開食事、待機、寝起きの儀礼をどう区別するかを横に置く。撮影年の異なる写真は一日に連続して撮られた歩行記録ではない。道筋と一室の経験を結ぶのは、撮影順ではなく室の位置と歴史的な使用記録である。[1]

王の寝室の二つの現況写真は同じ室を別方向から捉える一方、牛眼の控えの間は別室である。撮影が近いことと歴史的に同時の内装であることは違う。1701年の寝室移設を理解するには、壁やベッドの現在の位置を図に戻し、いつどの間仕切りが外されたかを宮殿の説明と照合する。 衛兵室の全景がないことは図版の欠落として残し、豪華な寝室の写真で入口の姿を代用しない。[1]

READING PRACTICE

一枚に戻って考える

現在の王の寝室の写真だけで「ルイ14世が最初からこの部屋を寝室にした」と言えるか。館の記録から訂正する。

照合の手がかり

言えない。公式解説は1701年に寝室を移し、旧寝室と控えの間の境界を変更したと記す。

言える範囲

王の寝室と牛眼の控えの間は別室である。衛兵室の図は床の細部を示すだけで、部屋全景や1701年以前の平面を示さない。ここにある写真だけでは王の控えの間全体と室間の連続を確かめられない。

SOURCE REGISTER

出典・図版

  1. [1] Château de Versailles, The King’s Apartment
    https://en.chateauversailles.fr/discover/estate/kings-apartments
  2. [2] Gzen92 / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ch%C3%A2teau_de_Versailles_-_Chambre_du_roi_%281%29.jpg
  3. [3] No machine-readable author provided. Elighthart assumed (based on copyright claims). / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Plan_de_l'Appartement_du_roi.jpg
  4. [4] Gzen92 / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ch%C3%A2teau_de_Versailles_-_Chambre_du_roi_%282%29.jpg
  5. [5] Miguel Hermoso Cuesta / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Salon_de_l%27Oeil_de_boeuf._Versailles..JPG
  6. [6] Trizek / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Parquet_Versailles_-_Ch%C3%A2teau_de_Versailles_-_Salle_des_Gardes_du_Roi.JPG