Space & Art / 空間とアート
VOLUME 01 / PART V / CHAPTER 49

なぜ時代室の家具を外すと、見える歴史も変わるか

展示室は作品を中立に置く容器ではない。壁面の密度、家具の有無、通路と説明文によって、何が「作品」で誰の生活を語るかが変わる。

米国・ニューヨークほか、18世紀末〜現在実物・記録を見比べる出典 11 件
Marmion Room 現室全景 DP227958
The Metropolitan Museum of Art, Open Access · Marmion室部材1756年頃/絵付け1770年代頃/写真: 撮影年未確認 · The Met Open Access / Public Domain 図版情報
The Metropolitan Museum of Art, Open Access · 元資料
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家具のない現室をまず見る

Marmion Roomの現室全景は、壁に設置された装飾、暖炉、鏡、開口、家具を置かない床を同時に写す。部材はヴァージニアのMarmion農園住宅の応接室に由来するが、写真に見える床と照明を原住宅のままと考えない。The Metは1916年にこの室の部材を取得し、1924年のAmerican Wing開設時に時代室として展示した。当初はフィラデルフィア製のロココ家具を入れた。館の説明は、ヴァージニア家具が収蔵になかったためと理由まで明記する。家具の同時代性と、原室に実際あったことは別である。現全景を1924年の再現写真と誤認しないため、キャプションに現在展示の写真であることを置く。三つのDP画像は同じ現室の別視点であり、三年代の画像ではない。[1][7]

The Metの解説では、元の住宅の応接室は七角形で、暖炉のある大きな客間だった。現室の全景で壁が折れてつながる角を探すと、単なる一枚の「装飾パネル」ではなく人を包む室であることが分かる。一方、博物館の四角い写真枠では七つの面を同時に見渡せない。別角度の画像を用いて角を重ねることが、この室を平板な壁画へ還元しないための最初の作業となる。[1][7]

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現室の三視点を一つの部屋へ戻す

DP227958を全景として置き、DP227959とDP227960で同じ室の角度を変えて見る。全景の暖炉や鏡を基準点とし、別視点の窓・開口・壁板がどの側に続くかを対応させる。三画像の連続は現室の幾何学を読むためであり、展示が三度変化した証拠ではない。全景で床が空いて見えても、部屋が「生活していなかった」ことにはならない。家具を外した展示判断の結果が写るのであって、元住宅に家具がなかったわけではない。[1][2]

同一対象Marmion Room 現室別視点 DP227959Marmion室部材1756年頃/絵付け1770年代頃/写真: 撮影年未確認同じ現室を別角度から見る。壁面、暖炉、通行用の開口、家具のない床を確認する。撮影年は個別に未確認。The Metropolitan Museum of Art, Open Access · The Met Open Access / Public Domain · 元資料[8]
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1980年の移動と2008年の再整備

The Metの展示史によれば、1980年にMarmion RoomはAmerican Wingの拡張に伴って別ギャラリーへ移され、建築と絵付けの観察を優先して家具が外された。2008年の再整備では元のAmerican Wingへ戻り、鏡の修復が行われ、窓の一つが人の通れる開口へ変えられた。現在も家具は置かれていない。この変更は「生活を再現する部屋」から、面と塗装を近くで読む部屋への転換として考えられる。ただし実際に来館者がどこを見たかは観察調査が要る。現在の写真で通行用開口と家具のない床を確認し、1924年と1980年の状態は館の文書とリンク先の歴史画像で確認する。展示の違いを三枚の同時期写真の差へ置き換えない。[1][7]

同一対象Marmion Room 現室別視点 DP227960Marmion室部材1756年頃/絵付け1770年代頃/写真: 撮影年未確認同じ現室を別角度から見る。壁面、暖炉、通行用の開口、家具のない床を確認する。撮影年は個別に未確認。The Metropolitan Museum of Art, Open Access · The Met Open Access / Public Domain · 元資料[8]

1780年代以前のこの場所は、川沿いの農園住宅の一室だった。The Metは元家屋に乳製品、厨房、燻製小屋、事務所などの別棟があったこと、奴隷化された人々が暮らす住居も敷地にあったことを記す。移設された応接室の美しい壁は、その複合した労働と生活のうち富裕層が客を迎えた場所だけを選んだ断片である。展示室の全景を「農園の全景」と言い換えない。元住宅の平面や敷地図はリンク先の一次資料へ戻る。[1][7]

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絵付けの層を部材に対応させる

接写では花綱、風景、石材を模す筆致などを指し、全景のどのパネルにあるかを戻す。The Metの分析は初期の黄色い塗装の後に装飾画が重ねられたとする。原建物の建設年約1756年と絵付け年代1770年代を一つの竣工日として扱わない。絵付けの作者は匿名であり、施主と塗師を同一人物にしない。写真の茶色味も、館によれば経年の汚れやニスの変化を含む。現在の色を、描かれた当初の鮮やかさの完全な記録にはできない。[1][2]

同一対象壁面装飾の細部ⅠMarmion室部材1756年頃/絵付け1770年代頃/写真: 撮影年未確認The Metに移設されたMarmionの木製壁面。現在の展示写真で1924年の家具配置を示さない。The Metropolitan Museum of Art, Open Access · CC0 · 元資料[9]
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絵付けの細部と原住宅にいた人

壁板の接写では、イオニア式柱、花や果物の装飾、風景画、金色大理石を模した塗装が読める。The Metは実際の金色大理石の暖炉と、木に大理石を模して描いた面を区別している。塗装の顔料分析では、1750年代の初期の黄系塗装の上に、1770年代頃に現在の装飾が重ねられたとされる。したがって「1756年の建物」と「1770年代の絵付け」は同時の単一デザインではない。この絵付けの作者は特定されていない。農園住宅の富を支えた奴隷化された人々の労働は、壁の写真に直接写らないが、The Metの展示史には名前と記録がある。たとえばBillyやJohn Stuartの史料は、所有者の生活だけで部屋を語らないための手がかりとなる。個人の物語を未知のまま捏造せず、記録の種類と視点を説明する。[1]

同一対象壁面装飾の細部ⅡMarmion室部材1756年頃/絵付け1770年代頃/写真: 撮影年未確認同じ移設室の別視点。柱・パネル・開口の位置を見比べる。The Metropolitan Museum of Art, Open Access · CC0 · 元資料[10]

鏡の上部に見える彫刻には、巻き貝や植物の曲線があり、The Metは1750–75年ごろのイングランド製とする。壁の絵付けは後から重ねられ、鏡の保存修復も後代に行われた。写真の一画面に見える物でも、製作地・製作年・修復時期が一致しない。絵付けの大理石模様は木に描かれた擬似素材で、暖炉周りの実際の大理石とは違う。画面上で石に見えるものを材料として確定するには、館の材質調査が要る。[1]

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表示される生活と消える労働

1924年に置かれたフィラデルフィアのロココ家具は、来館者に居住の場を想像させたかもしれないが、Marmionの原調度ではない。家具を外すと壁の技術は近くで読める一方、そこで働いた人の姿はさらに見えにくくなる可能性がある。The Metの現行解説はBillyやJohn Stuartなどの史料を示す。展示室の鑑賞者がその解説を読んだか、労働の歴史を理解したかは観察調査が必要だ。装飾の美しさと農園の搾取を相殺する語りにせず、別の証拠として並置する。[1][2]

現在の空室と1787年版画の密集した壁を並べると、作品間の空白の量が強く違って見える。しかし版画は作者が見せるべき場面を構成した画像で、写真と違う縮尺や誇張を持つ。ここで読み取るのは展示の描かれ方であり、1787年のすべての来館者が同じ距離で鑑賞したという事実ではない。[1][2]

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1787年サロン版画との異なる媒体の比較

Martiniの1787年サロンを描く版画には、上段まで絵が並ぶ壁と多くの観客が刻まれる。Marmionの現室写真は実際の展示室を撮影した画像であり、二つは同じ年代・制度・媒体ではない。ここで比較できるのは、壁を何で埋め、見る者がどれだけ近づけるように描かれ/配置されているかという表現上の差である。サロン版画から厳密な作品間距離や当日の入場者数を測れない。Marmionの全景から1924年の混み方や照明も測れない。展示は作品を載せる背景ではなく、何を目立たせ何を退けるかを選ぶ装置だと読めるが、その社会的効果は各時代の利用記録で検証する。MoMAの1936年展示写真は出典リンクにあるが、この図版群には含まれない。公開収蔵の実景は第51章で別施設のLuce Centerを扱う。したがって本章の実物比較は時代室現況とサロン版画の異なる媒体に限る。[1][6]

別個体・対照1787年のサロンを描く版画サロン版画1787年/写真: デジタル化年未確認P. A. Martiniによる同時代の版画。別の場所・時代の展示像で、実測写真ではない。Pietro Antonio Martini after Johann Heinrich Ramberg; The Met Open Access · CC0 · 元資料[11]

奴隷化された人々を抽象的な「労働力」にしないため、館が確認した個人名を史料の範囲で記す。Billyは19世紀初めにLewis家の客を応接室へ案内した可能性があると館は述べ、John Stuartについては1835年の逃亡広告と後の財産目録を示す。彼らの行動を館の説明以上に想像して描かず、広告そのものが奴隷主の視点で書かれた資料であることも明示する。装飾の記録と人の記録の偏りを、展示室の読み方に組み込む。[1][6]

READING PRACTICE

一枚に戻って考える

Marmionの現室全景DP227958と壁面接写を対応させ、家具を置かない床、絵付け、通行用開口を指せ。1924年家具入り、1980年家具撤去、2008年移設という年表のうち、どこを画像で、どこをThe Metの文書で確かめたか二列に分けよ。

照合の手がかり

現室写真は家具なし、壁面装飾、通行用開口を示す。1924年に別産地の家具を置いたこと、1980年に外したこと、2008年に時代室をAmerican Wing内の当初位置へ戻したことは館の展示史による。2008年に家具は再設置されていない。

言える範囲

掲載したMarmion Roomの三全景と二細部は現況で、個々の撮影年は未確認。1924年の家具入り展示と1980年の家具撤去後を示す写真ではない。1787年サロンの版画は別の制度・媒体の視覚資料で、実測写真として比較しない。

SOURCE REGISTER

出典・図版

  1. [1] The Met, Marmion Room
    https://www.metmuseum.org/about-the-met/collection-areas/the-american-wing/period-rooms/marmion-room
  2. [2] The Met, Period Rooms
    https://www.metmuseum.org/about-the-met/collection-areas/the-american-wing/period-rooms
  3. [3] Louvre, Martini, Salon of 1787
    https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl020520504
  4. [4] MoMA, Cubism and Abstract Art installation
    https://www.moma.org/calendar/exhibitions/2748/installation_images/12499
  5. [5] The Met, Luce Center
    https://www.metmuseum.org/gallery-viewer/luce
  6. [6] The Met, Martini, Exposition au Salon du Louvre en 1787
    https://www.metmuseum.org/art/collection/search/393346
  7. [7] The Met Collection API, object 5505 / Open Access images
    https://collectionapi.metmuseum.org/public/collection/v1/objects/5505
  8. [8] The Metropolitan Museum of Art, Open Access
    https://www.metmuseum.org/art/collection/search/5505
  9. [9] The Metropolitan Museum of Art, Open Access
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paneling_from_Marmion,_the_Fitzhugh_Family_House,_Tidewater,_Virginia_MET_DP210015.jpg
  10. [10] The Metropolitan Museum of Art, Open Access
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paneling_from_Marmion,_the_Fitzhugh_Family_House,_Tidewater,_Virginia_MET_DP210010.jpg
  11. [11] Pietro Antonio Martini after Johann Heinrich Ramberg; The Met Open Access
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Exposition_au_Salon_du_Louvre_en_1787_MET_MM43349.jpg