なぜアーツ・アンド・クラフツは部屋全体を手仕事の問題にしたか
壁、家具、布、絵を別々の「装飾商品」にせず、家として暮らし、仲間と作り、工房へつながる場所として読む。

Velela / Wikimedia Commons · Red House:1859〜60年建設/撮影:2004年 · Public domain 図版情報
外観の非対称は生活の配置から出る
National TrustによればWilliam Morrisは1859年に友人の建築家Philip WebbへRed Houseを依頼し、Jane Morrisと1860年から住んだ。外観の窓は左右対称な見栄えのために増やされず、部屋ごとの用途に応じた。外観写真の赤煉瓦、屋根、窓の位置を、内部写真の天井や暖炉、光の入り方と往復する。中世風の輪郭を一語で「復古」と呼ぶと、室ごとに必要な窓を選ぶ実務と、友人たちが作る場という生活の条件が見えない。現在の外観は保存後の姿で、1860年当時の植栽や全仕上げをそのまま映してはいない。[1]
壁画と家具が現在残ることは制作の共同性を確かめる手掛かりになる。しかし残らなかった物や改装された部分もある。現況を「一度に完成した手仕事の全体」と呼ぶ前に、National Trustの保存履歴へ戻る。[1]
窓の数は外観の対称性だけで決まらない
National TrustはRed Houseの主寝室の窓が夜の用途に合わせて小さく、外観を左右対称に見せるため不要な窓を足していないと説明する。外観写真で凹凸と窓の位置を探し、室内写真で明るさの入り方を照合する。中世風の外形という様式名だけでは、住む人の一日によって開口を選んだことが見えない。実際の冬の室温や採光量は測定値がないので断定しない。窓の大小が視線、家具の置き方、壁画の位置とどう競合するかを問う。[1]
部屋の物を仲間の制作として読む
Morris夫妻は家具や壁画を自分たちと友人の仕事で整えた。National TrustはWebbの戸棚、長椅子、卓の設計、Rossetti、Elizabeth Siddal、Edward Burne-Jonesらの絵画や家具装飾への参加を記す。室内を一人の「Morris様式」として扱うと、複数の手の違いが消える。木部や描かれた面を近づいて見て、建物の造作と可動家具の接点を探す。図版に写るものの制作年を個別に確認し、残る室が1860年の完成直後の全調度を保存しているとは言わない。[1]
外観の赤煉瓦と急な屋根は目を引くが、この家を理解するには窓の数と室の使い方を結ぶ方が重要である。National Trustは主寝室が夜に使われるため窓が小さいことを例に挙げ、左右対称のために不要な開口を加えなかったと説明する。室内の写真で暖炉や天井の仕上げを見ると、外観の「中世的」な印象と実際に暮らすための細部が同居する。家具は店頭で一括購入されたのではなく、WebbやMorris夫妻の周囲の人々が設計・装飾した。ゆえに一室を一人の作品と呼ぶと、制作に参加した女性や職人の仕事まで見失う。[1]
壁画と家具は異なる手の集積
Red HouseではMorris夫妻、Philip Webb、Edward Burne-Jonesらが建築、絵画、家具、装飾に関わった。National Trustの記録は制作の協働を示すが、今日見える全ての部材を1860年の一斉完成とするものではない。天井、戸棚、扉を別々の図版で見て、固定造作と動かせる家具の境界を探す。女性の制作と家事労働は、男性の作家名だけの年表では見落としやすい。誰が何を描き、誰が日々補修したかは個別の作品記録や手紙まで調べる必要がある。[1]
理念と工房の現実は分ける
手仕事の尊重は産業化への批判と関係するが、Red Houseは工業から切り離された自給の家ではない。資材、依頼、職人、友人の協働があって成り立った。National Trustは1861年にMorris, Marshall, Faulkner & Co.が生まれるきっかけが、この共同の制作環境にあったと説明する。ただし「手で作ったものは常に安価で誰でも買えた」とはならない。制作と販売の価格、作業をした人の報酬を論じるには工房の帳簿と市場資料が必要になる。室内写真の美しさを、労働条件が理想どおりだった証拠にしない。[1][2]
使い継ぎの変更まで見る
未実現の工房を現況に描かない
1864年に友人家族と工房を加える増築が考えられたが、実現しなかった。実現しなかった計画は理念の証拠になっても、現在の建物の平面を増やす証拠にはならない。Morris夫妻は1865年に離れ、後の所有者の変更と保存が現在の室を作っている。現在の室内写真で造作が一体に見えるほど、完成時と後補を区別する資料が重要になる。建物・家具・壁画が結びつくことを言う場合も、特定部材の制作年と原位置を作品ごとに確認する。[1]
Red Houseの戸棚は、家具として単独で流通した作品と同じ読み方をしない。造り付けか可動か、誰の設計か、後に移動したかを個別に調べる必要がある。天井と扉の写真も、色や絵柄が今見えるという以上に、完成時の全室に同じ材料が使われた証拠ではない。National Trustの建物史へ戻り、友人との共同制作という理念が実物のどこで確認でき、どの部分で作者が分からないかを分ける。家の保存が進むほど、表面は過去の一瞬ではなく補修の積み重ねになる。[1]
追加した『愛』のステンドグラスは窓であり、単独の額絵として吊られた物ではない。光を受ける位置と図像の主題を、Red Houseの別室天井や扉と照合する。2014年の写真に見える色を1860年当初の色と断定するには保存調査が要る。庭を見る2015年写真も当初の植栽の記録ではなく、窓が内外の視線をつなぐ現況資料である。[1]
一枚に戻って考える
外観の窓の位置を「中世趣味だけで決まった」と言えない理由を、室内写真と館の記録で説明する。
照合の手がかり
館は部屋ごとの用途に必要な窓を選んだと記す。外観の非対称と内部の採光を照らす。ただし当時の照度は写真から測れない。
考える手がかり:館は部屋ごとの用途に必要な窓を選んだと記す。外観の非対称と内部の採光を照らす。ただし当時の照度は写真から測れない。
室内写真は現況であり、全家具の制作者・原位置は未照合。工房の賃金や価格も別史料が必要。
出典・図版
- [1] National Trust, Red House history
https://www.nationaltrust.org.uk/visit/london/red-house/the-history-of-red-house - [2] National Trust, women of Morris & Co.
https://www.nationaltrust.org.uk/visit/london/red-house/history-of-the-morris-and-co-women - [3] Velela / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Red_House%2C_Bexleyheath.JPG - [4] Stephen McKay / Geograph / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Looking_out_of_Red_House_-_geograph.org.uk_-_4593518.jpg - [5] Tony Hisgett from Birmingham, UK / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Red_House_home_of_William_Morris_%283%29.jpg - [6] Ethan Doyle White / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Stained_glass_window_of_Love_at_Red_House.jpg - [7] Tony Hisgett from Birmingham, UK / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Red_House_home_of_William_Morris_%285%29.jpg - [8] Tony Hisgett from Birmingham, UK / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Red_House_home_of_William_Morris_%286%29.jpg