Space & Art / 空間とアート
VOLUME 01 / PART II / CHAPTER 23

なぜ庭園は、水と歩く順路で屋外にも「部屋」を作ったか

門、軸、水路、植栽の区画が歩行を導く。ただしデリーの墓園とヴェルサイユの王宮庭園は、宗教・政治・水利の異なる計画である。

インド・デリーのフマユーン廟とフランス・ヴェルサイユ/16〜18世紀実物・記録を見比べる出典 10 件
フマユーン廟・入口からの軸
Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons · フマユーン廟庭園:16世紀/ヴェルサイユ庭園:17世紀以降/撮影:2007年 · CC BY-SA 2.0 図版情報
Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons · 元資料
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デリーでは門と墓と水路を結ぶ

UNESCOは1570年に建てられたフマユーン廟をインド亜大陸の初期の大規模な庭園墓所と位置づける。門から廟へ向かう正面軸と四分された庭、水路は、単なる植物の飾りではなく、死者を記念する建築と歩く場所を一体にする。上空からの写真や平面で対称の区画を見た後、地上の水路・石敷を見れば、図面上の線が歩く身体にとって障壁、道、視線の誘導になることが分かる。ただし現況の植栽を1570年当初のままとしない。写真で水が流れていることは、何世紀も同じ水利が動いていた証拠ではない。[1]

同一対象フマユーン廟・庭園平面フマユーン廟庭園:16世紀/ヴェルサイユ庭園:17世紀以降/図版制作:2019年後年作成の説明図。門・墓・水路の関係を追う。BilliTheCat / Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 · 元資料[6]

水景は写真の中では一瞬で見えるが、流し続けるには水源、勾配、清掃、修理が要る。庭園の美しさを考えるとき、毎日の維持を写真の外へ追いやらない。復元した水路を設計者の原意と同一視しない。[1]

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デリーの水路は現況だけでは読めない

フマユーン廟では門から墓へ向かう軸を現況写真で見ることができる。平面図では四分された庭と水路の配置を追える。しかし現地の水が現在見えることを、16世紀以来途切れず流れた証拠にはしない。Aga Khan Trust for Cultureの保存報告は、失われた水路の調査と復元を記す。つまり今日の歩行写真には原計画、後世の改変、近年の修復が重なる。水を装飾の線としてだけ眺めず、供給・維持する仕事、現在の保存判断を含めて読む。[1][2]

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保存の仕事が見え方を変える

Aga Khan Trust for Cultureの修復記録は、長く機能しなかった水路や庭園の調査・復元を記す。復元後の水面は設計の意図を考える助けになるが、撮影された水を創建時から続く実景と呼ばない。水路の底、排水の勾配、修理箇所を知るには発掘・保存報告が必要であり、観光写真では十分ではない。庭園を「自然」として眺めると、井戸、水管理、植替え、清掃を行う人の仕事が消える。建物の前の空地がどのように維持され、何が失われ、何を再建したかという時間を、同じ場所の資料を並べて読む。[1][2]

同一対象フマユーン廟・庭園現況フマユーン廟庭園:16世紀/ヴェルサイユ庭園:17世紀以降/撮影:2019年区画と建物の距離を別角度で見る。Naveen R Gowda / Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 · 元資料[7]

フマユーン廟の庭園平面は、門から墓へ向かう主軸と四つに分かれる地面の関係を明瞭にする。その線を現況写真の敷石・水路に重ねると、上からの幾何が地上では足元の段差や視線の焦点として現れる。UNESCOが示す敷地は墓一棟の周囲だけでなく大きな複合域であり、現代の写真一枚で全体の水系は説明できない。Aga Khan Trust for Cultureの修復報告を読むと、見える水は維持と再生の仕事を経ている。失われた区画を復元した現在を、創建以来の無変更の姿として扱わない。植物の種類や生長も時代ごとに変わるため、幾何と植栽の「現況」を分ける。[1][2]

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王の庭園案内は誰の歩行を示すか

ヴェルサイユにはルイ14世自身が庭園を案内するために書いた複数稿の文章が残り、宮殿は1689〜1705年の案内を公開する。これは設計者側がどの順で見せたかったかを知る珍しい一次記録だが、すべての来訪者が同じ経路を歩いた証拠ではない。木立は異なる形の小空間をつなぎ、屋外に室の連続を作る。現況の列柱廊の木立をその案内文と比べると、通る場所・留まる場所・見せる対象を問い直せる。植栽の成長と改修を経た写真を、ルイ14世の眼にそのまま投影しない。[4][3]

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ヴェルサイユは複数の小空間を持つ

ヴェルサイユ宮殿の庭園では、長い軸線と噴水に加え、木立に囲まれたグローブが個別の空間を作る。宮殿はこれらを屋外のサロンとして使った歴史を記す。ルイ14世が1689〜1705年に作成・改訂した庭園の案内は、どの順に歩いて何を見るかを示す同時代の一次文書である。案内に書かれた道筋は、全来訪者が実際に歩いた唯一の経路ではない。平面では区画の並びを、現況写真では囲われ方や水と像の距離を比べる。後世の植栽・水景の変更を含む今日の庭園を、一年の完成形として扱わない。[3][4]

同一対象ヴェルサイユ・木立の版画フマユーン廟庭園:16世紀/ヴェルサイユ庭園:17世紀以降/図版制作:制作年未確認1730年の別地域の庭園表象。実測写真ではない。Unknown artist Unknown artist / Wikimedia Commons · Public domain · 元資料[8]
別個体・対照ヴェルサイユ・列柱廊の木立庭園:17世紀以降改修/写真:2012年別地域の庭園の現況。版画に描かれた舞踏の木立と別地点であり、同一木立の昔今ではない。Jean-Pierre Dalbéra from Paris, France / Wikimedia Commons · CC BY 2.0 · 元資料[9]
別個体・対照ヴェルサイユ・列柱廊の木立全景庭園:17世紀以降改修/写真:2011年列柱廊の木立を別の角度から見る現況。デリーの十字水路と用途・水利を分ける。Coyau / Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0 · 元資料[10]

庭園の「部屋」は屋根と壁のある室の比喩だが、同じように境界、入口、焦点、移動の順序を持つときだけ有効である。フマユーン廟の四分庭園では水路と道が区画を分け、墓の位置を示す。ヴェルサイユの木立では植栽が視線を閉じ、噴水や像に近づいてから場が開ける。二つを並べるなら、区切りの材料と移動の経験を具体的に比べる。木立の版画は1730年の表象で、デリーの現況写真と同じ証拠階層に置けない。現地の維持管理についても、デリーの修復組織の報告とヴェルサイユの庭園案内を別種の資料として読む。水を「癒やし」の普遍的な記号にしない。[3][4]

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似た対称でも、同一起源とはしない

二つの庭園を並べると、門・軸・水という共通する視覚語彙が見える。しかしフマユーン廟はムガル朝の墓所、ヴェルサイユは王宮の庭で、宗教観、政治的な見せ方、水源、維持制度が違う。同じ「四分」や「軸」があっても、直接の影響関係や普遍的な癒やしの効果を写真だけで証明できない。見るべきなのは、各地で歩行と停止を誰のために設計し、水と植栽をどう維持してきたかである。各図版の制作年、対象範囲、修復後かどうかを書き分け、異なる庭園の情報を一枚の理想平面に混ぜない。[1][2][3][4]

ヴェルサイユでは長い軸と対照的に、木立が囲う小さな空間が体験を刻む。1730年の木立の版画は当時の演出を知る入口だが、絵師が選んだ視点を実測図と取り違えない。ルイ14世の庭園案内は歩く順を提案する文書であって、全来訪者の実際の足跡ではない。二つの庭園を共に「水と対称」と呼ぶと、墓所と王宮の異なる制度、庭師や水を供給する労働が消える。図版を並べるときは、デリーの門と廟の位置関係、ヴェルサイユの木立に入る境界を別々に指示する。水が宗教的意味を持つか、政治的な遊興や演出に関わるかは、各地の一次資料を見て言う。[1][2][3][4]

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二枚のヴェルサイユ図版も同一地点ではない

1730年の版画は舞踏の木立を描き、現況写真は列柱廊の木立を撮っている。どちらもヴェルサイユ庭園に属するが、前後比較の同一地点ではない。版画が示す催しの表象と、現在の列柱廊の歩行可能な形を二種類の証拠として使う。デリー側にも門からの軸写真と説明平面という異なる資料がある。両庭を対称の形だけで結ばず、前者の墓と庭の軸、後者の王宮と木立を巡る選択された経路、水を保つ制度を区別する。具体的な水利構造を比較するには両地の設備図と調査報告を要する。[3][1]

列柱廊の木立の二枚の現況写真は2011年と2012年で視点が違う。水や植栽の状態差を17世紀の改造史と短絡しない。舞踏の木立の1730年版画は別の木立で、催しの場のイメージとして使う。デリーの入口軸を歩くことと、ヴェルサイユの木立を巡ることは同じ『庭園の動線』でも、墓への向きと王宮の見せる順序が異なる。Aga Khanの修復報告とルイ14世の案内文を並べ、設計の意図、保存の手順、来訪者の実際の歩行を三種類の記録に分ける。[3][1]

フマユーン廟の平面模式図は後年の説明図で、入口からの写真は保存後の現況である。両方を重ねると四分の線と歩く軸が確認できるが、16世紀の植栽の種類は分からない。ヴェルサイユの現況写真も17世紀の植栽の再現ではない。図が示す配置、写真が示す現在、文書が示す意図を違う色で記録する。[3][1]

READING PRACTICE

一枚に戻って考える

デリーとヴェルサイユの図版で似て見える要素を二つ挙げ、そこから直接の影響関係を言えない理由を述べる。

照合の手がかり

軸線と水路・水景が似て見えても、用途、制作時期、水利、政治・宗教条件が異なる。共通形だけでは伝播の資料にならない。

言える範囲

1730年版画は当時の表象であり、その場の実測記録ではない。現在の園路と水の状態も、当時の使われ方をそのまま示さない。

SOURCE REGISTER

出典・図版

  1. [1] UNESCO, Humayun’s Tomb
    https://whc.unesco.org/en/list/232/
  2. [2] Aga Khan Trust for Culture, garden restoration
    https://static.the.akdn/53832/1641873562-2007_aktc.pdf
  3. [3] Château de Versailles, The Groves
    https://en.chateauversailles.fr/discover/estate/gardens/groves
  4. [4] Château de Versailles, Louis XIV guide to gardens
    https://en.chateauversailles.fr/discover/history/key-dates/louis-xiv-guide-gardens-versailles
  5. [5] Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Humayun_Tomb%2C_Delhi%2C_from_the_entrance_portal.jpg
  6. [6] BilliTheCat / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Humayun%27s_Tomb_Garden_Enclosure_Plan.svg
  7. [7] Naveen R Gowda / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Humayun%27s_Tomb%2C_Delhi_1.jpg
  8. [8] Unknown artist Unknown artist / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Print%2C_Versailles%2C_Groves_of_the_Garden%2C_the_Ballroom%2C_1730_%28CH_18478131%29.jpg
  9. [9] Jean-Pierre Dalbéra from Paris, France / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Le_bosquet_de_la_colonnade_(Versailles)_(8038725499).jpg
  10. [10] Coyau / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Parc_de_Versailles,_Bosquet_de_la_colonnade,_Vue_d'ensemble.jpg