Space & Art / 空間とアート
VOLUME 01 / PART II / CHAPTER 19

なぜ書院は、絵を置く場所を建築の中に作ったか

床の間は絵を掛けるための余白であると同時に、誰がどの位置で人と物を迎えるかを組み立てる造作だった。現存する二条城とThe Metの再制作室を、同じ古い部屋として扱わずに読む。

日本・桃山〜江戸初期/現存二条城二の丸御殿と1989年の館内再制作室実物・記録を見比べる出典 8 件
二条城二の丸御殿・室内
Zairon / Wikimedia Commons · 二条城二の丸御殿:17世紀前半/撮影:2018年 · CC BY-SA 4.0 図版情報
Zairon / Wikimedia Commons · 元資料
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まず、建築の中の「見る位置」を探す

The Metの書院室は1989年、日本の職人が桃山期の材料と技法を参照して制作した展示室である。原型は琵琶湖近くの園城寺・勧学院に1600年に建てられた客殿の主室で、館の個票は大きな床の間、畳、金地の襖を挙げる。写真で床の間を周囲の壁から切り分けて見ると、掛ける絵や置く器物は単独の額ではなく、畳の目、襖の面、座る身体との距離の中に現れる。畳が敷かれた床を見たということと、その部屋で実際に誰がどの席に座ったかを知ったということは違う。展示室の全景は、形の比較には使えても、1600年の会合の目撃記録にはならない。[1]

現在の写真を資料として使うときは、撮影が許された位置と立ち入りできない位置の差も読む。見えない場所が歴史上存在しなかったわけではない。畳の高さと画面の高さを見比べる際にも寸法を作らず、図面・実測資料を探す。[1]

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二条城の実景では何が「絵の場所」か

大広間一の間の写真を主図の室内写真と比べる。この写真には現代に設けられた人形の再現展示が写るため、人形の人数や姿勢を江戸期の儀礼の直接記録と扱わない。上段は床の高さを変え、襖絵は閉じた建具の面を画面にする。これに対し床の間は面を埋める装飾ではなく、掛物・器物を受け入れる余白である。同じ「絵」といっても、室に固定される障壁画と機会に応じて入れ替えられる掛物を区別する必要がある。二条城の御殿は遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院という六棟の連なりを持つ。上段だけを取り出して日本の住宅一般の型にすると、来訪者をどの段階で迎えるかという建物全体の働きが消える。写真にない室順は平面図と公式解説へ戻って確かめる。[2]

同一対象二条城・襖面二条城二の丸御殿:17世紀前半/撮影:2018年二の丸御殿遠侍の襖面。開閉する壁が絵の支持体にもなる。Zairon / Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 · 元資料[5]
同一対象二条城・大広間一の間/現代の人形展示建物:17世紀前半/人形展示の制作年:未確認/撮影:2012年二の丸御殿・大広間一の間の現況写真。人形と説明札は現代の再現展示であり、江戸期の対面場面を写した写真ではない。上段、畳、障壁画の位置だけを建築の証拠として読む。sailko / Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0 · 元資料[6]
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なぜ棚と床の間が要るようになったか

館の解説は、書院が禅寺の読書空間に由来し、窓の近くの棚と床の間があったこと、室町期に中国絵画や器物の鑑賞・収集が重みを増すなかで床の間が大きくなったことを記す。そこでは絵を永久固定するより、場と機会に応じて掛け替え、器物と組み合わせる可能性があった。建築は作品の背景になるだけでなく、作品を選び、現れ方を変える道具になった。もっとも、特定の絵が特定の日に掛けられたことは別の目録や日記を要する。床の間が大きいことだけから、そこでの会話、序列、鑑賞時間を復元しない。[1]

二条城の平面図では、遠侍から式台、大広間、黒書院、白書院へ向かう順序にまず目を置く。室の名前だけを暗記するのではなく、誰を迎える場所かという差が、部屋の大きさ、奥への通し方、絵画の配置にどう現れるかを問う。現在の室内写真はひとつの視点しか持たないため、襖の向こうに別室が続くことは平面と合わせて初めて分かる。逆に平面からは金地の反射や視線の高さは分からない。写真の襖面を「壁画」と呼ぶだけでは、開閉して部屋の境界を変える機能を落とす。絵が固定の壁に張られているのか、動かせる建具に載るのかを区別することで、客が入る前後に画面がどう現れるかという制作上の問いが生まれる。[1]

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現存する書院建築で比べる

京都市が管理する二条城二の丸御殿は、六棟が連なる書院造の実例である。公開平面の遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院を追うと、同じ「書院」でも部屋は一室に凝縮せず、接客の段階と奥行きで分かれる。室内写真の襖絵と畳の境界は、絵画が移動する面を兼ねることを示す。二条城の障壁画原画には保存のため複製への置換が進む。現在御殿で見る画面を、すべて1620年代当時の原画と呼べない。この現存御殿はMetの1989年室とは原位置・時代・使用者が異なる対照であり、勧学院の復元画像ではない。[2][3]

同一対象二条城・平面模式二条城二の丸御殿:17世紀前半/図版制作:2008年2008年作成の説明図。部屋の並びを示すが桃山期の実測原図ではない。Gothika This W3C-unspecified vector image was created with Adobe Illustrator . / Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 · 元資料[7]
同一対象二条城・外観の細部二条城二の丸御殿:17世紀前半/撮影:2007年同じ御殿の外観。室内写真だけで建物全体を判断しないための対照。Daderot / Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0 · 元資料[8]

写真から読みたい最小の単位は、床の間という「空所」と、そこに向く畳の広がりとの対である。床の間に作品を掛けるだけなら今の住宅にも似た場所はあるが、書院では棚・襖・座位・部屋の序列も結びつく。二条城の遠侍の襖絵は大広間の掛物と同じ用途とは限らず、空間を分ける面そのものに絵がある。御殿の平面模式図は2008年に作られた説明図なので、建設当初の設計原図として日付を遡らせない。再制作されたMetの室、現存する二条城、現代の解説平面は三つの異なる資料である。各図版の下にこの違いを短く書くことが、制作メンバーが「絵をどこへ置くか」を考える前に、置かれる建築の側の歴史を読む練習になる。[2][3]

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原位置と再制作を比べる時の順番

The Metの書院室は園城寺勧学院の客殿をモデルに1989年に作られた再制作であり、二条城とは別個体である。Metの個票は伝統的な工法・材料と桃山期の室の構成を説明する。一方、二条城公式サイトは大広間を正式な対面の場所、黒書院を親しい大名らとの対面の場所として区別する。再制作室の写真を見て分かるのは床の間、棚、畳、襖の相互配置であり、原型の1600年の会合や二条城の接客を記録した写真ではない。図版を並べるときは、どの物が原位置で残り、どの物が後から作られたのかをまずラベルに書く。The Metの公式個票にある室内写真と二条城の室内写真を見比べ、床の間・棚・畳・襖の配置と、再制作室/原位置に残る御殿という資料の性格の違いを確かめる。[1][2]

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棚・畳・建具を同じ画面で採点しない

床の間の掛物は交換を前提にできるが、襖絵は室を仕切る建具に描かれる。棚は器物を置く造作であり、畳は見る身体の位置を作る。これらを「日本的装飾」の一欄にまとめると、画面が固定されるのか動くのか、物が置かれるのか掛かるのか、視点が座位か立位かが消える。二条城の室内・襖・平面を並べて、各図から言える動きの種類を一つずつ記す。The Met再制作室の個票にある室内写真では床の間・棚・襖の形を確認できる。二条城の写真とは別の場所・別の成立時期の事例として読む。どちらの室も日々の使用を示す家族写真ではない。 四つの働きを整理した章内の模式図は、The Metの個票の床の間・棚・襖と、二条城写真の畳・障壁画を読むための観察補助である。両者の部材配置や寸法を復元した図面ではない。[1][2]

図面・記録床の間・棚・襖・畳/働きの模式2026年作図The Metの1989年再制作室の解説と二条城実景を読む観察補助。両室を合成した復元平面・寸法図ではない。2026年独自作図。artbrane(一次資料の記述から独自作図) · Original diagram · CC BY 4.0 · 元資料[1]
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絵を置く判断に残すこと

畳に座る視点で襖、床の間、棚が同時に見えるか、立った視点で何が隠れるかを図版間で確かめる。二条城平面は部屋の連結を、写真は表面と明るさを示すが、平面から金地の反射や鑑賞の順番までは出ない。館内再制作の書院室は材料と比例を学ぶ資料になり、二条城は現存建築の空間構成を学ぶ資料になる。この二種類の証拠を混ぜずに照合することで、「床の間があるから和風」という名前付けを越え、建築が作品の選択と出現をどう支えたかという問いを持てる。実際の掛け替えの史料と観客の証言はなお別に探す必要がある。[1][2][3]

二条城の公式説明によれば御殿の障壁画は保存上の理由で原画と複製の置換が進められ、原画は別に展示される。これは作品が空間から切り離された結果でもあり、空間を守るための選択でもある。Metの書院室も1989年に伝統技法を用いて作られたもので、現存する桃山期の室そのものではない。こうした二つの「後から見る条件」を図版ラベルに書く。もし現在の金色や木肌だけを気に入って室内に取り入れても、作品をいつ誰が選び、どう入れ替え、どこに座って見たかという書院の問いは残る。実際の掛物の位置と使用の頻度を知るには、建築個票から先の古文書や保存調査を引く必要がある。[1][2][3]

二条城の大広間を写す図と遠侍の襖を写す図は、御殿内でも室の役が違う。見た目が似る金地の画面を同じ展示壁として扱わず、公式解説の部屋名へ戻す。外観細部はさらに縮尺の異なる図版なので、内部の座順の証拠にはしない。[1][2][3]

READING PRACTICE

一枚に戻って考える

掲載した二条城の室内・襖・平面から、それぞれ何を直接確認できるか。The Metの1989年再制作室は資料の種類として何が違うか。

照合の手がかり

室内は現在の座位と絵の位置、襖は動く画面、平面は部屋の連続を示す。Metの室は桃山期の現存原室ではなく1989年の再制作で、原位置の使用は写真だけでは言えない。

言える範囲

The Metの1989年再制作書院室の室内写真は館の個票で確認できる。ここにある模式図は実際の部材配置や寸法を示さないため、二条城との形の比較には双方の原画像を参照する。現存二条城も、園城寺勧学院客殿の復元ではない。

SOURCE REGISTER

出典・図版

  1. [1] The Met, Shōin Room
    https://www.metmuseum.org/art/collection/search/640986
  2. [2] 京都市・二条城二の丸御殿
    https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/introduction/highlights/ninomaru/?lang=en
  3. [3] 京都市・二条城障壁画展示収蔵館
    https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/introduction/tenji/?lang=en
  4. [4] Zairon / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kyoto_Nijo-jo_Ninomaru-goten-Palast_Innen_Raumgesamtansicht.jpg
  5. [5] Zairon / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kyoto_Nijo-jo_Ninomaru-goten-Palast_Innen_Papierw%C3%A4nde_2.jpg
  6. [6] sailko / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Castello_nijo_03_ohiroma_ichi-no-ma.JPG
  7. [7] Gothika This W3C-unspecified vector image was created with Adobe Illustrator . / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ninomaru_Palace_Nijo_Castle_plan.svg
  8. [8] Daderot / Wikimedia Commons
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ninomaru_Palace%2C_Kyoto%2C_Japan_-_facade_detail.JPG