なぜ歴史的なモスクは、祈りの方向と都市の中心を同時に形にしたか
二つの歴史的な場所を、柱列と中庭の似た写真でひとくくりにせず、祈りの向き・都市との接続・増築の履歴から比較する。

Arnoldius / Wikimedia Commons · 2019年5月撮影 · CC BY-SA 4.0 図版情報
コルドバの重層
UNESCOのコルドバ歴史地区記録は、8世紀以降の大モスクの建設と拡張、13世紀以後の大聖堂への転用を区別する。内部写真の反復する二段のアーチは巨大な礼拝空間の水平な広がりを示すが、現在写るキリスト教の祭壇や身廊を創建時のモスクの要素と誤記しない。柱とアーチの連続は、一つの視点から見える奥行きだけでなく、歩くにつれて柱が視界を区切る経験をつくる。写真が撮られた現在、建物はカトリック大聖堂である。歴史的な用途が変わったことを消して「今もモスク」と書くのも、前の用途が消滅したと見るのもどちらも不正確である。[1]
コルドバの内部を柱列の美しさだけで読むと、増築と転用によって変わった方向感覚を見失う。UNESCOは歴史地区の一部として大モスク/大聖堂を扱い、建物が現在の都市に置かれ続けていることを示す。内部写真の柱の反復を、一枚の均質な初期建築の証拠にせず、施工年代の違う部分がどこにあるかを平面や歴史解説へ照合する。イスファハンについても、中庭の四辺を囲むイーワーンの写真だけで、建物の古い柱廊部分や後世の改修が消えるわけではない。どちらも都市の中心にあった礼拝建築だが、都市へ向かう門と内部で進む経路は別の形を取る。似た「イスラーム建築」の名前で両者を一つの平面に合成しない。[1]
イスファハンの別の変化
UNESCOのMasjed-e Jāmé of Isfahanは、古い礼拝空間が増築・改変され、四イーワーンの中庭構成が重要になった長い建築史を持つ。広い中庭の四方へ大きなイーワーンが開く写真は、コルドバの柱列の内観とは違う開け方を見せる。イスファハンの都市の中心で長く使われた金曜モスクであることも、単なる装飾の違いではない。ドーム、イーワーン、柱列が異なる時期の働きを持ちうるので、全体を一時点の「イスラーム式」と呼ばない。コルドバとの共通起源や同じ宗教的転用の経路を主張せず、それぞれの年代線を別に書いてから平面と都市への入口を照合する。[2]
礼拝建築の方向を論じるなら、写真の奥行きが向かう先と、キブラの方位が必ず一致すると思わない。観光写真は撮影者が最も美しい反復を見せる角度を選ぶからである。UNESCOの二つの登録記録は、両建物の増築・転用を長い時間として扱う。コルドバではモスクの拡張と大聖堂としての使用、イスファハンでは諸時期の付加が重なる。今の内部を単一時点の設計者の思想の図解にせず、各部分の年代を地図に置くことが先決である。都市の中心であったという主張も、内部写真だけでなく街路、周辺施設、政治・宗教制度の資料が必要になる。[2]
都市と建物の尺度を往復する
Córdobaの航空写真は、モスク・大聖堂が都市の区画の中でどの大きさを占めるかを示し、柱列の室内写真は同じ建物の一部の反復を示す。写真だけでは建設段階ごとの境界線は引けないが、UNESCOの記述を併せれば、イスラーム期の増築と後の大聖堂への転用を一つの時点に平坦化せずにすむ。Isfahanでは金曜モスクの正面への近づき方と中庭の四つのイーワーンを別スケールで見る。都市から入る経路、門の形式、礼拝の方向は一枚の中庭写真に重ならない。写真の焦点距離により柱間と庭の広さは変わって見えるため、面積や方位を比較するには平面・地図と記録が要る。二都市とも「中心にあるから同じ計画」と言うのではなく、その中心がどの時代と制度に関わるかを歴史資料で確かめる。[1][2]
Isfahanの平面は1840年の見えである
掲載するJāmeʿ Mosqueの平面図は、Pascal Costeの1840年頃の図をもとに2019年に再制作された図である。現在の実測図でも、8世紀の創建図でもない。中庭とイーワーンの相対位置を読むには有効だが、都市への接続や全増築期の正確な年代をこの線だけで決めない。UNESCOはJāmeʿ Mosqueを長い改築と増築の過程の証拠として記す。したがって過去のある時点の平面と現況写真を並べ、どの部分が一致し、どこに時間差が残るかを見る。Córdobaの柱列もIsfahanの四イーワーンも「イスラーム建築」の交換可能な部品ではない。二つの建物が同じ長さの歴史を持つと数えず、それぞれの公的登録文書に記された転換点を用いる。[2]
Córdobaではイスラーム期の礼拝空間と後世の大聖堂が同じ敷地に重なる。航空写真の外形と室内柱列の間にある時間を、単に「二文化の融合」という美辞で埋めない。UNESCOの説明から各転換の年代と現行用途を確認し、誰が改造を決め、何が維持されたかはさらに歴史資料を要する。独自年表は時期を分けるための図で、どの柱がどの工期に属するかを示す施工地図ではない。二つの都市の共通性は長い使用と改変であり、形態が互いを模したという結論は写真から導けない。[2]
何を写真で比べるか
礼拝の向きと都市の中心は別の問い
都市の広場や主要な街路に近いという事実は、室内で礼拝者が向く方角を直接示さない。qiblaの軸は宗教的な向きに関わり、都市の中心性は街路、商業、政治、儀礼の集まり方に関わる。図版で両者を説明するには、方向が記された信頼できる平面と、周辺を示す都市図を対応させる必要がある。Córdobaの航空写真とIsfahanの歴史平面は出発点になるが、同じ縮尺や作成年の地図ではない。独自年表も段階を記号化したもので、施工範囲を色分けした実測図ではない。そこで結論は「二つの歴史的モスクでは礼拝の方向と都市への接続がそれぞれ設計・改変された」と限定し、何世紀のどの門がどの市場につながったかは追加資料を待つ。[1][2]
断定の境界
一枚に戻って考える
二つの写真で「開けた視界」がどう異なるかを述べ、そこから言えない都市や礼拝の情報を一つずつ挙げよ。
照合の手がかり
コルドバでは柱列越しの奥行き、イスファハンでは中庭を囲む大開口が見える。方位・歴史的使用は平面や史料が必要。
考える手がかり:コルドバでは柱列越しの奥行き、イスファハンでは中庭を囲む大開口が見える。方位・歴史的使用は平面や史料が必要。
Córdobaの航空写真は街路と建物、Isfahanの外観写真はJāmeʿ Mosqueへの接近を示す。Isfahan平面はPascal Costeの1840年頃の図から2019年に再作図されたもので現況実測ではない。独自年表は非縮尺。二都市のqibla角度の実測値は未収載。
出典・図版
- [1] UNESCO World Heritage Centre — World Heritage List
https://whc.unesco.org/en/list/313 - [2] UNESCO World Heritage Centre — World Heritage List
https://whc.unesco.org/en/list/1397/ - [3] UNESCO World Heritage Centre — World Heritage List
https://whc.unesco.org/en/list/255 - [4] Arnoldius / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Córdoba_Mezquita_Catedral_colums.jpg - [5] GourmetBean / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Two-tiered_arches_at_the_Mosque–Cathedral_of_Córdoba.jpg - [6] Wikimedia Commons / Radosław Botev
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Courtyard_and_iwans_of_Jameh_Mosque_Isfahan_2014_(1).jpg - [7] Wikimedia Commons / Radosław Botev
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Courtyard_and_iwans_of_Jameh_Mosque_Isfahan_2014_(2).jpg - [8] Salvatorecoco / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mezquita_C%C3%B3rdoba_foto_a%C3%A9rea.jpg - [9] Davide Mauro / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:View_of_Friday_mosque.jpg - [10] Goran tek-en / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Plan_of_the_Jama_mosque_based_on_Pascal_Coste%27s_drawing(fa).svg