なぜアサンテの土壁建築は、補修とともに継がれてきたか
土と木と竹による社を「古い外観」ではなく、儀礼、造形、補修する人たちがつなぐ建築として読む。

Wikimedia Commons / Sucram Yef · 2019年撮影 · CC BY 2.0 図版情報
社は何でできているか
UNESCOはクマシ周辺のアサンテ伝統建築群を、複数の社から成る連続遺産として記録している。中庭を囲む構成、木・竹・泥塗りの壁、かつての茅葺屋根、壁の浮彫が重要な要素である。浮彫は渦、植物、動物などの模様を含むが、その意味を写真だけから翻訳できない。UNESCOの説明では、形は信仰や共同体の観念と結びつき、単なる装飾に還元されない。図版では一つの社の外観と壁面細部を先に同定し、別の社を並べる際は名称を変える。複数の建物を一つの「アサンテの家」の全景と部分に見せかけない。[1]
土壁の面を観察するときには、材料そのものと表面の造形を分ける。泥塗りは壁を閉じる層であると同時に、浮彫の陰影をつくる層でもある。軒下の暗さ、扉の奥の暗さ、明るい壁面の線の浮き出し方は、同じ社の写真を距離を変えて比べると読みやすい。しかし壁の凹凸が同じ技法で作られたと断定するには、補修に用いた土、下地の木・竹、塗り重ねの履歴を調べる必要がある。UNESCOは保存上の課題として屋根材やシロアリなどを挙げているため、色の差をただ「時代を経た風合い」と鑑賞して終えない。修繕は視覚効果ではなく、社が今も立ち、使われるための条件である。[1]
維持が形に入る
UNESCOの保存記録では、長く維持されてきた建築でありながら、現存する部材がすべて18世紀のままではないと明記される。急勾配の植物屋根が浅い金属板の屋根に置き換わり、踏み固めた土床が舗装床になった例がある。雨、湿気、シロアリ、適切な木材や竹の調達難が修理を難しくする。現在の屋根を写真で見て、創建時から金属板が設計に含まれたとは言えない。土を塗り重ねることは、失われてゆく表面を放置せず形を保つ技術と労働であり、修理の履歴を「偽物」と一語で片づけると、建物が使われ続ける条件を見失う。[1]
保存の現場では、古い材を残すことと、傷んだ材を交換して社を使用可能にすることが同時に問われる。UNESCOが屋根材の変化や環境の影響を記すのは、今日見える表面を「純粋な原型」として固定しないためでもある。土の浮彫が明瞭に見える写真は、形が続いてきたことを示す一方、いつ、誰が、その部分を塗り直したかは示さない。修理の履歴を作品の価値から切り離せば、現在関わる人々の技術と判断が消える。逆に、保存の名のもとで形を変えた事実をすべて伝統に吸収してもいけない。写真に写る屋根と床の材料を登録資料に照らし、創建時、後補、未確認を別の語で書く。[1]
屋根の交換を時系列で読む
Beseaseの屋根とKentikronoの外観を並べると、輪郭の差を「同じ伝統の自由な変奏」とすぐ呼びたくなる。しかしUNESCOの登録説明は、13棟中12棟で急勾配の植物屋根が浅い波形金属板へ変わったと明記する。そこで図版を読む順序は、意匠を比べる前に屋根材と勾配を記録することになる。2016年の写真は一時点を写し、交換がいつ行われたかの連続記録ではない。屋根が変われば軒の陰、雨の落ち方、壁面への水の当たり方も変わりうるが、その効果を測った資料はここにない。形の比較と気候性能の評価を同じ確かさで語らない。UNESCOは土・木・竹・茅の調達が難しくなったこと、湿気・強雨・シロアリによる劣化も記す。保存を「昔の姿に固定すること」だけで捉えると、修理材の供給と継続する使用という条件が見えなくなる。[1]
図版の六枚を左から右へ見て、すべてを「茅葺の社」の例と呼ぶのは誤りである。UNESCOによれば多くの屋根が金属板に置き換わった。写真で見える色と勾配をまず書き、材の判別が難しい部分は個別の保存記録を探す。BeseaseとKentikronoを並べるのは様式の美しさを競わせるためではない。気候と材料調達、継続する儀礼、国の保護と伝統的管理が違う時期に形へ反映したかもしれない、という問いを立てるためである。写真はその因果関係の実測を含まないため、可能性と確認済みの変更を区別する。[1]
社は今も使われる場所である
UNESCOはこれらを、宗教的な相談と儀礼が今も行われる社として説明する。中庭を囲む壁と開口は、外側から見える造形であると同時に、人が集まり、入る場所の一部でもある。Beseaseの前面写真で軒の陰と扉の位置を確認できるが、誰がいつどの部屋へ入れるかは写っていない。Asenemasoの別の社を同じページに置いても、儀礼の順序や参加者の役割が共通だったと示すことにはならない。ここでは社を無人の土壁作品として見せず、使用が続くというUNESCOの記録を前提に外観の読める範囲を限定する。[1]
写真から確かめられるのは、屋根の出、壁面の凹凸、開口がつくる明暗である。浮彫の図像がどの存在を指し、儀礼のときどの方向へ人が向いたかは、外からの写真では分からない。建築を知るために儀礼を外部が再演して埋める必要もない。むしろ公開できる前面と、共同体が説明する内側を区別することで、知識の欠落を勝手な「伝統像」で埋めずに済む。[1]
複数の社を一個体に合成しない
六図のうちBesease、Asenemaso、Kentikronoは別の社である。建物の名前を外したまま軒、浮彫、床を順に並べれば、存在しない一棟の全景・細部に見えてしまう。社ごとに現在の屋根、開口、壁面の見えを記録し、共通点は世界遺産の複数要素に関するUNESCOの説明に限定する。Beseaseの近景は屋根と壁の接するところを示すが、Kentikronoの正面に見える差を自動的に修理年代の差へ換算できない。保存状態、撮影角度、個体の歴史のどれも候補である。浮彫の線については造形の大きさや陰影なら観察できても、その図像がどの祖先、信仰、禁忌と関わるかは写真から読めない。公開の画像であることを、模様を借用する許可と混同しない。比較の単位を個体と資料に戻すことが、異文化の建築を「土壁の様式」という一語に潰さない方法となる。[1]
浮彫の細部へ近づくほど、外部の読者には分からないことも増える。UNESCOが文様の象徴的意味を記すからといって、写真に見える一つの動物像の意味を一対一で訳せない。担当者が制作資料へ使うなら、形のリズムや土の表面から学ぶことと、信仰に結びつく具体的な図像を引用することを分ける。後者は当事者による公開説明と使用の判断を要する。この線引きは美術資料の情報量を減らすためではなく、造形が誰の場に属し、誰が維持してきたかという情報を失わないためである。[1]
指定と修理を誰が担うか
UNESCOの管理説明では、これらの建物は1960〜70年代にGhana Museums and Monuments Board(GMMB)が取得し、1969年の法令に基づく国の記念物となった。一方、伝統的な権威者と長老が継いできた規範も管理の一部である。GMMBの現場担当者やcaretaker、地域の首長、地方自治体、共同体、大学が保存の計画や実施に関わるとされる。「国が保存する」でも「共同体だけで維持する」でも、UNESCOの記録を十分に説明しない。[1]
この制度の違いは外観の写真では見えないが、どの材を入手し、傷んだ屋根をどう直すかという選択に関係する。UNESCOは植物屋根用の茅や竹、特定の木材が得にくくなったことを長期課題として挙げる。図版で見える金属板と土壁を単なる意匠上の折衷と呼ばず、材料調達と修理の条件に照らす。ただし個別の社の修理日、決議、費用はこの概説にないため、BeseaseとKentikronoの屋根差を誰の判断で生んだかまでは記さない。[1]
比較の限界
社の図像の意味、参拝者の経験、修理の合意過程はUNESCOの概説写真だけでは完結しない。現地管理者と共同体の言葉が必要である。アサンテの社とタオスのプエブロを共に「土の建築」として並べるときも、信仰・土地の権利・管理制度・補修主体が違うため、同一文化の変種として扱わない。[1]
さらに、写真の浮彫を鑑賞することと、その図像を制作素材として借りることは別である。図像が誰の信仰と結びつき、どの説明が公開されているかを当事者と保存機関の資料で確かめる。模様を「土壁らしさ」の記号として無名化しない。[1]
一枚に戻って考える
写真に見える屋根と壁のうち、創建時から同じ材と断言できないのはどれか。保存記録の根拠を添えよ。
照合の手がかり
屋根と床は後世の置換例が記録される。壁にも再塗装・修理がある。個別写真の部材年代は画像だけでは確定しない。
考える手がかり:屋根と床は後世の置換例が記録される。壁にも再塗装・修理がある。個別写真の部材年代は画像だけでは確定しない。
BeseaseとAsenemasoは別の社。撮影年と画像ライセンスは各個票に記録した。図像の文化的意味と再利用の可否は当事者の説明・判断を要する。 新規追加図は外観と軒のみ。儀礼に結びつく浮彫の意味や転載判断は共同体の説明なしに確定しない。
出典・図版
- [1] UNESCO World Heritage Centre — World Heritage List
https://whc.unesco.org/en/list/35 - [2] Wikimedia Commons / Sucram Yef
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Besease_Traditional_Shrine_(Ejisu,_Ghana_2019).jpg - [3] Wikimedia Commons / Albgoess
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:3110_Besease_Shrine.jpg - [4] Wikimedia Commons / Rappmann
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Asenemaso_Shrine.jpg - [5] Wikimedia Commons / Noahalorwu
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Asenemaso_Shrine_(a.k.a._Tano_Banie_Shrine).jpg - [6] Noahalorwu / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Besease_Shrine_(5).jpg - [7] Joy Agyepong / Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kentikrono_Shrine,_Kumasi.jpg